1/35scaleアルゲマイネSSの女の子 : ディートリッヒちゃん(082)、マイヤーちゃん(083)、ヴィッシュちゃん(084)、
クラースちゃん(085)、モーンケちゃん(086)、ヴィットちゃん(087) りざあ堂製

1/35scaleミリタリーミニチュアシリーズ kfz70クルッププロッツェ(タミヤ製)

2015年夏モデル

1/35scale シュビムワーゲン

ロケ地:近所の公園(川崎市)とふぐずま県



【オーストリア併合】
今回はちょっと変わった切り口からいこう。
ラインラント進駐、オーストリア併合、チェコ解体・併合、じつはどれもきわきわ。
ラインラント進駐は「大丈夫、イケるだろうの賭け」
オーストリア併合は、交渉で解決できなかった場合の実力行使の作戦「オットー」を3/10に発令。実施は3/12。
オーストリアとの国境に展開している部隊への下知ではなかった。
どの部隊か?
第二装甲師団とLAH

どこにいたか?
第二装甲師団はオーストリア国境からフランス方面におよそ400kmはなれたところに駐屯。
将校たちはフランス国境(さらに400kmはなれていた)
LAHはというと、ベルリンにいた。(みちなり700km)

10日の発令は誰に下ったか、その時点で第二装甲師団の師団長でなくなっていたグデーリアン。
もし自分がグデーリアンの立場だったらまず、さいしょにどう思うか?

なんでオレなのさ?
(第二装甲師団の師団長は既にファイエル)





【3/12朝8:00に越境予定】

丸一日かけて走りぬいた第二装甲師団。東京から琵琶湖の手前までを最高速度40km/hの戦車をつれて大名行列。
11日夜になんとか第二装甲師団はそろった。
集合地点についてみたら驚いた、地図がない・・・・
それどころか燃料も用意されていなかった。
どうすんのよコレ?

もっとつらいのはディートリッヒ御一行様、その二倍を走ってこなければならない。
走りに走ってきたのだけれど第二装甲師団のあとになってしまった。しょうがないさ。

予定一時間おくれで進軍開始。(越境)



ちょっと戻って、燃料はどうしたか?


集合地点の市長があつめてくれた民間トラックを補給部隊にして、オーストリア国内のガソリンスタンドで調達。
地図?現地の観光ガイド(地図)を使用。

戦場ではないけれど、別の意味でサバイバー



第二装甲師団の将校の立場になってほしい。いま君は宮城県仙台市にいる。


「あさって朝8:00に琵琶湖集合ね。あ、東京にいるブルドーザーたちもいっしょにねー。じゃー、シクヨロー♪」

といわれてしまったらどうするw


ディートリッヒ御一行さま
いま秋田、「あさって8:00琵琶湖のほとり(米原)集合ね、じゃ、シクヨロ。」

1938年のおはなし。東海道新幹線すらない時代です。(もちろん他に新幹線ない)
基本ぽっぽな時代です。



越境する予定の部隊の将校すら知らなったプラン。知ってたら部隊から離れたりしない。
いってみたらガソリンも地図も用意されていない。「あれ?ほんとうにそんな作戦あったの?」と疑いたくなる事態。


装甲師団の初の舞台
装甲部隊に緊急出動命令。
グデーリアンの花道は、電話がなった、そして電話かけまくったで始まった。

【ディートリッヒ隊】
LAHとなのっていても、インシグニアは鍵(ディートリッヒ)のマーク。
苦労人が手にした「僕の部隊」

今回はそんな「僕(私)の部隊」を再現。
38年にLAHに所属していたなかでのちに将軍となった人を選抜。
プロイセン貴族、軍人家系が占めるのではなく平民の軍隊、親衛隊。

今回は全員黒テカメットにしたけれど、本来一般SSでイベント要員(即応)じゃない隊員でこの服をきてるものはドイツ将校の帽子に近い黒いばーじょんが標準装備。したっぱでもね。
わかり易く言うなら新入社員にイスに肘宛てがついているって感じだw

そらーもう、気分の高揚感はすごかったでしょう。
将校さんのほとんどがvonな連中で固められているなか、自分がその帽子あてがわれたら舞い上がっちゃう頑張っちゃう。
ディートリッヒもそんな高揚感につつまれていたのでしょう。
クリストローゼ作戦成功したら元帥号ちょうだいなおねだりしたんだから。
イギリスだって「サー」が存在する。アメリカ軍で「いえす・さー」って言うことば、あれはやっぱり憧れではないのだろうかと思ってしまう。(平民国家の)

闘将ハウサーだってフルネームはパウル・ハウサー。貴族の出自ではない。
貴族ではないけど父も軍人で本人はプロイセン王国高級士官学校をでている。
ハウサーは第一次大戦ですでに将校で、戦後も軍籍があり、将となっている。
そこがディートリッヒとあきらかに違うところ。小学校卒でそのあと働きっぱなし、158cmと小柄。親衛隊設立で手にした「僕の部隊」
「ハウサーなんかに頭さげて部下の教練たのむなんて絶対イヤ」となってしまうのもうなずける。
その足らなさと、平民っぽさは多くの親衛隊員にとっては親しみを覚えるものだったのだろう。
ちなみにクルト・マイヤー、テオドール・ヴィッシュ、フリッツ・ヴィット、ヴィルヘルム・モーンケ、フーゴ・クラースみなvonがつかない。


【平民はトラックの荷台でりんごまるかじり】
「親衛隊は捕虜にとらない」といったアメリカ軍。それはもーアレだ、田舎モノはヨソの田舎モノが嫌いというのと一緒の感情論だ。
山形出身の男の子が東京に出てきて、おされな女の子と出会った。
あとでわかった。「なに?おまえ新潟出身なの?」
「ウチは市だから!!!あんたなんか山形じゃん、とおいじゃん。」ってな、バカにしあい・ののしりあいが始まったりする。


そんなレベルだと勝手に解釈してしまうのは僕だけだろうかw


【で、福島ロケ】
どこで撮ってもよさそうなものだけれど、空気みたいなものが違う。
草むらで撮影するだけだから近所でも同じようなものなのかもしれないが、撮影する僕の気分がまず違う。

根拠薄弱というより説明するのがとんでもなく手間だし、説明しきれなくなってしまう部分もでてくる。
でも、親衛隊を撮影するには福島がいいそんな気がする。
福島といっても、漁村じゃないよ。漁村はどこでもそれほどかわんない。内陸部ね。
近日米軍のしゃーまんを載せますが、同じような時期の撮影でも、背景の木や草、その色が少しづつ違います。
同じカメラでとってるのですが、違います。
わかり易いところだとこの黒テカメットに景色が写りこんでるのです。
その写りこむ景色がどこまでも、自然な世界なのです。広さ・奥行があるんです。
空が写っても木が写っても大丈夫ってな安心感が撮影しててあります。

ここらへんじゃそうはいかねー。すぐ電柱が写ってしまう。

平成30年2月6日たけちよ記